2014-07-31 01:51 | カテゴリ:ギニアのお話
私が最も尊敬し、いつかはこうなりたいと憧れていた、
ギニア人の偉大な歌い手が亡くなりました。

去年ギニアに行った時は会えなくて、
次行く時は絶対会いたい、直接歌のレッスンを受けたい、
そう心に思い描いていました。

けど思い知らされる。
「次」は絶対ではないということを。
悲しいかな、これが現実。
なんで会われへんかったんやろ、
という気持ちに縛られても仕方がないのだけれど…。

今はちゃんとご冥福をお祈りして、
私は前を向いて歌うのみ。
これまで以上に気持ちを込めて。

そして彼女の歌を聞き返す。
うん、やっぱり素晴らしい。

この世に素晴らしい歌声を残してくれて、本当にありがとう。
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【ジャンル】:音楽 【テーマ】:LIVE、イベント
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2014-03-24 11:23 | カテゴリ:ギニアのお話
どうも、ちひろです。
たまには真面目(?)なお話をと思って、ギニアの音楽のことについて書きます。



先日の神戸フリースクール音屋祭でのこと。
ドゥニのライブが終わった後、ひとりの女性のお客さんに声をかけられた。

そのお客さんは
「タイコが会話しているように聞こえた。」
とおっしゃった。
その方は、生まれて初めてギニアの音楽を聞いたとのこと。
私は嬉しくて、
「ほんまですか!?話してるように聞こえました!?嬉しです~!!」
と、思わずその方の手を握ってしまった。

というのも、もともとジェンベは通信手段して使われていたとも言われるからだ。
3km離れた場所にもその音が届くらしい。
「うちの村で結婚式あるで!」とか「お葬式あるねん」とか、
高いビルなど音を遮るものがないギニアの地方の村々で、
ジェンベを電話のように使っていたのも納得がいく。

またリズムそのものも自然の中にある音や、
話し言葉から作られたものがたくさんある。

例えば『ディボン』という曲は、ディボンという鳥がいて、
その鳥同士が会話している声をもとに作られたと言われているし、
『カッサ』という曲(畑を耕すときの曲)は、
「イカンコロタ、イカンコロカサキニタ、アカラマニパイパイ」
(畑を耕すときに持ってくお弁当を取り合いしちゃダメだよ。
喧嘩して熱くなっちゃうよ。みんな仲良くね。)
という話し言葉になっている。

今回のライブで、初めてギニアの曲を聞いた方に、
その「会話」が漠然とでも伝わったことが何より嬉しかった。
ギニアの音楽はまさしく『コミュニケーション』。
聞かせるというよりも「話しかける」という言葉がの方が合う。

そんな音楽の背景を知ってライブを見に行くと、
今までとは違った音の聞こえ方がするのではないかと思います。

ちなみにギニアのマリンケ語で「話す」は「クマ」と言います。
かわいいでしょ(笑)。
【ジャンル】:音楽 【テーマ】:民族楽器
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2011-08-03 23:54 | カテゴリ:ギニアのお話
さて、第2弾です。


ギニア共和国の中でも、地方によって文化は異なります。
僕らがやっているのは、アマナ地方、サンカラン地方の村の音楽です。

Algeria Map

この地図のNiger Nat Parkの周辺です。


このNigerとはニジェール川のことで、ギニアではジョリバといいます。
その1で出てきたバレエジョリバはここから名前を取っています。


雨の少ない地域にとって、水は本当に貴重なものです。
その水をどこかから運んできてくれるジョリバは村の民にとって本当に神聖なものです。


僕が一番最初に行ったのは、サンカラン地方のウォロコという村でした。
この村のジェンベフォラと出会い、僕は村の音楽にのめりこんでいくことになりました。
(ジェンベフォラとはジェンベの達人で村中の人から尊敬されている人のことを言います。)


そのジェンベフォラは007(ゼロゼロセット)といいます。
007からとったあだ名のようです。
すごい包容力のある人だけど、ひょうきんでいつも笑わせてくれるようなやさしい人です。
その人と一緒に村に行きました。


村ではなんとも言えず、居心地がいいのです。
みんなが自然に生きていて、子供たちは森で食べれる木の実を探したり、木に登ったり、
言葉遊びをしたり、お母さんもお母さん仲間とわいわいおしゃべりしながら家事をします。

男たちは大抵集まってぐだぐだしているのですが、畑仕事や狩りなど男にしか出来ない仕事は
しっかりやります。

村一つがひとつの生き物のようにつながりあって、支えあって存在していました。
そんな中に入ると、自然と自分もその生き物の中にいるような気がして安心しました。


日本人はほとんど来ない村に来た日本人に興味しんしんになりながらも、歓迎のおまつりをしてくれました。
そこでの007がすごかった!

まつりは朝からちょこちょこ休憩を挟んで夜中まで続いたのですが、昼間はまだ落ち着いていたのですが、
夜はもうすごいテンション。

ほとんど、そこにいるみんながあたまふっとんだようなテンションで踊り狂ったり、奇声をあげたり、
火の中にとびこんだりと、すごい光景が繰り広げられていました。

その中でその空間をコントロールするがごとく、ジェンベを叩いていたのが、007でした。
ジェンベフォラとはその場の空気を変えてしまえる人のことだと思いました。


この村での体験は、僕にとって本当に大事な体験でした。



次に行ったアマナ地方のサンバララという村は、バレエアフリカンのソリストとして、
自分のバンドアマナフォリカンを率いて世界中を演奏して回ったファムドゥコナテさんの村として
有名です。
(ファムドゥはサンバララの近くの村出身だそうです)


ここにも、日本在住のソロケイタさんと一緒に行きました。
ちょうど彼らの結婚式もかねてやるということで大きなお祭りに参加させてもらえました。

アマナの音楽はサンカランの音楽とは少し違います。
基本的なフレーズはやっぱり似ているんですが、グルーブ感や音の跳ね具合がアマナのほうが
重厚感があるように感じます。


ここでも、ジェンベフォラはやっぱりすごかったです。
いつもの練習で見ている姿はほんの一部分。
ジェンベフォラの本当の部分を見るなら、村でのおまつりです。


日本にもときどきジェンベフォラが来日されてツアーで回ったりされていますが、
やっぱり現地で見れるような本気のジェンベフォラの部分は見れません。


これは本当に現地に行って体感してほしいところです。


この2人のジェンベフォラとの出会い、村の人たちとの生活に感銘を受けて、
僕は村の音楽をやっています。



ごくごく自然に、人と人とがふれあい、支えあい、時にはちからを合わせてお祭りをやる。


そんな空間が一瞬でも作れたら本望だと思っています。
2011-08-03 22:24 | カテゴリ:ギニアのお話
どうもひさです。

こないだ、くわがたを採りに行ってきました。
ひさしぶりに採ったくわがたは思ったよりもかわいかったです。


さてさて、いつもイベントの告知ばっかりなのでたまにはアフリカのことを話してみたいと思います。


アフリカというと、いつも一つの国のようにひとくくりにされてしまうのですが、
実際にはたくさんの国、部族、文化があります。


今回はその中でも、僕たちがいつも演奏している西アフリカのギニア共和国という国についてのお話です。

ギニアの位置


ギニア共和国は1558年アフリカ大陸がヨーロッパ諸国の植民地だった頃、アフリカのどこの国よりも
早く独立しました。

これをきっかけに次々とアフリカの国々が独立していくことになります。
それだけ、ギニア共和国は他の植民地だったアフリカ諸国にはまぶしい存在だったのではないでしょうか。



独立後のギニアはまさに独立という名のごとく、宗主国からの協力を一切絶って自分たちで国づくりを
進めていきました。


国をあげて、どう海外の国々と関係を持ち、豊かになっていくか、を一生懸命考えました。
そこで、とられた政策がギニアの音楽文化を海外との架け橋にしようという政策でした。


バレエアフリカンやパーカッションデギニーといった伝統音楽をベースにした国立バレエ団や
ベンベヤジャズといった西洋の音楽・楽器をベースにギニアのグルーブを盛り込んだバンドまで
音楽的に幅広いだけでなく、世界に通用する音楽を作れるバレエ団、グループを生み出していったのです。



国立バレエ団では、ギニア中をスカウトマンが走り回り、村々の名人やこれから名人になる素質のある
子供たちを集め、厳しい指導のもと、優れた音楽家たちを生み出していきました。
(彼らは今では本当に伝説的な存在で、ギニア中の人たちから尊敬されています。)

この国をあげた一大プロジェクトは国の威信を賭けたものでした。
その分、指導もすさまじいものがあった、とそのときバレエ団に所属していた人は語っています。



このバレエ団では、さまざまな部族の音楽をよりステージにあうよう洗練させ、その音楽に乗せて
ダンサーたちがギニアの歴史や普遍的なテーマの演劇を披露しました。

演出や構成をストーリー仕立てにし、お客さんの気持ちを引き込みながら、時にはぐわっと盛り上げたり、
時には悲しい気持ちにさせたり、とミュージカルのような形になりました。


こうしたスタイルの音楽を「バレエスタイル」と僕は呼んでいます。
僕たちのやっている音楽を「村の音楽」と表現するのは、ギニアには昔からずーっと村で演奏されてきた
形態とここに書いたようなバレエスタイルがあるからです。
僕の認識では村の音楽=おまつり、バレエスタイル=ステージ向けです。

ここ5,60年で作られたバレエスタイルも今ではどんどん進化をつづけ、すごいレベルに到達しています。
多くの日本芸能が昔の形のままで伝統を守ろうとするのとは正反対で、ギニアの芸能はどんどん新しくて
面白いことを盛り込んでいきます。
もちろん守るべき大事な部分は守りながら。



話を戻しますね。
これら国立バレエ団が実際に世界の架け橋となり、バレエアフリカン、パーカッションデギニーは
ヨーロッパ、アメリカなどでも公演をするようになっていきました。
(バレエアフリカンは国連でやっている映像もあります。)


こうした外の世界への情報発信があったからこそ、西アフリカの音楽は世界的に広がっていったのです。



最後に火をつけたのは映画「ジェンベフォラ」です。


国立バレエ団バレエジョリバに所属していたママディケイタ主演の映画「ジェンベフォラ」が世界中で
公開されると、瞬く間にジェンベが世界中で広がることになりました。

僕たちがジェンベを手にし、ドゥンドゥンに出会い、コラやバラフォンを弾けるのはこうした長い長い歴史の
積み重ねがあったからです。



ジェンベはただの楽器ではないと思っています。
こうした人々のたくさんの思いをのせて、世界中に広がった、本当に素敵な存在です。


アフリカンの音楽に触れる人たちが少しでもこうしたバックグランドを知って、文化を大切に
思う気持ちを持って、演奏したり、楽しんでくれると嬉しいなと思います。